novel99’s blog

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愛をください。その1「愛枯渇的少女」

▼「私小説ちっくな作品にはまってしまう傾向があるんです^^」 作品が良くないとそれはそれで見ないのですが、第一のフィルタはフリーパス。シード権利あり状態になります。 主人公が、(この作品では主に基次郎に対する手紙の紙面上の語りとして)自分の心を表現している事に弱い。 それは、ダラダラと自分の心情を他人に対して述べるセリフという形をとっているより現実味を帯びているような気がするから。 あくまで、表現の手段がセリフから心理ナレーションに代わっただけ?と思うかも知れないが、相手がいないのといるのとでは、違和感が違う。 本当に話せる相手ってのは、本当に少ない。でも、それを自分は聞きたいと思っている。 このドラマには、基次郎という相手がいるけれども、彼とは真実を話す事を約束していて、彼女は彼を信じている。 でも、距離は離れ、会うこともよそうと約束していて手紙のみのやりとり。 彼がいないようでいる感触は、彼女が生きる支えなんですよね。 彼女が基次郎という人を得たのは、人生において大切な一歩。 人は一人では生きてけない。 それは、生活という面での物理的な支えもあるけど、ずーと会っていないけど、裏切れない思い出の人みたいなものも含まれますよね。 それは、誰かを借りた自分自身ではあるところが少し矛盾しているんですけど・・。^^ しかし、主人公はそれが生きること(もっと正確に表現をあてがうなら、死なないこと)への支えにはなってはいるけれど、救われはしていな時点から話は始まっています。 心理ナレーションといっても、全てそこで表現されているわけではなく、菅野美穂の演技(セリフのトーンや、表情)を通してうまく表現されています。 そこが映像化されるドラマの醍醐味ですね。 (と言っても小説の醍醐味も知っている私は、早速小説書きました。)
「愛をください」 ●遠野李理香(管野美穂) ●長沢基次郎(江口洋介) ●葛井昴(陣内孝則) ●葛井昭子[キョンちゃんのママ] ●木場源太(杉本哲太) ●木場静江[カズ君のママ] ●月蜜中也(伊藤英明) ●新藤未明(原沙知絵) ●柿崎保[音楽プロデューサ]
「幸福かな・・」 カズ君のパパである彼は、そう言った。気を遣って私が言った「木場さんの幸福を壊したりしない」という事に対する返答が、その独り言のようなコレだった。 彼は、私と抱き合った後「溺れそうな人を助けているみたいだった」とも言われた。 最初、正常位から、私を上にして私のペースに任したのは、彼の優しさで僕が君の船になってあげるよって事だったのだろうか。 そんな幻想的な非現実な考えは、行為中の彼の顔の記憶を思い出して、あっという間に消えた。 私は彼に何を求めていたんだろう?。ぼんやりと天井を眺めた。 彼が「そうだな幸せだ。」と言ったとしても、疎外感に襲われ、必死に哀願する寂れた女みたいだと感じ、「いや離婚しよう」となんか言い出したら、吐き気を催すぐらい拒絶をするだろう。 どっちにしても、きっとぼんやりと天井を見るしかないに決まっている。 私は何と繋がろうとしているんだろう?。 だろう?だろう?と一人問いがボロボロと染み出てくる。 基次郎さん・・・。貴方との約束。 文通をしよう。決して会おうとしない。隠し事無く伝える。 この私達の状況は理想的だと思います。 いないようでいる貴方も存在は、私にとって大切です。支えです。 イスみたいなもの。 でも時々、イスを蹴り、持ち上げ、バキバキになるまで投げつけたい衝動にも駆られる。 鋭すぎる貴方の言葉が痛いから。 関係ばかりを求めてくる男とは違って、ズハリと問いかけてくる貴方のおがけで私は生きています。 自殺を止めてくれた時、止められた時、いやいや、どちちらの言い方もキッチリしないな・・貴方を信頼はしているけれど傾倒しているわけでもなく、突き放して迷惑がっている訳ではないからさ。 ・・貴方が私の自殺を止めた時、私の投げつけた不幸話を聞いた時、他多数の不幸せ、例えば飢餓に苦しむ子供達とか病気に苦しむ人達とか、を出さずに私を説得してくれたのはとても有り難かった。 私というアイデンティティーをしっかり承認してくれる事に、あなたの誠実さと真実味を感じました。 だから、確固たる私が成立する上で思うのです。 何故最初から人間には不平等があり、こんなに裕福で幸福な時代にどうして自分だけが最初から不幸だったのか・・と。 目が醒めると朝だった。 最近、梅雨が到来したことによる湿気の高さと、日が昇るのが早くなったせいで、私の朝は早い。 昨日はいつラブホテルを出たんだろうと少しあやふやな記憶をひもときながら、ベランダで育てているプチ畑の野菜達に水をかけてやる。 朝ご飯を食べ、シャワーを浴び、着替え、歯磨きと化粧をして、カーテンをしめ、戸締まりをして出ていく。 今日も暑そうになりそうだ。 保育園について、子供達の朝の迎えをする。 一人ずつ、親に連れ添われてやってくる子供達。 笑顔で、「おはよう」だとか、元気のない子には「どうしたの?」と聞いてあげて、親からの今日の子のコンディションなんかを聞く。パパやママには、その子といっしょに行ってらっしゃいと言って見送りをする。 毎日の風景。 そんな朝は私が何気に保育士をするように、木場源太もしっかりカズ君のパパに戻っている。 ズルいとかといった相手に対する感情よりも、そうだよねという想いが先に起つ。積極的に諦めの気持ちが沸くというより、ただ無感情に、ふーんと感じるだけだ。 その感情を他人と見比べてみると、それは諦めという感じに近かっただけに過ぎない。 彼の背中をカズ君と見送ると、私も、私の前で手を嬉しそうに振るカズ君になれたらと思う。血のつながりは大切だよ。親と子供の関係は無条件に愛に溢れているからね。 こうやってひがみのように子供を見ているときは、確かに美智子先生の意見を受け容れるしかない。 私は、この子達を愛してやれない。この子達の幸せが妬ましく思い、関わっていたいだけの物乞いでしかないのだ。 だから、必死に仕事を頑張る。自分たちを見てくれる先生が、そんな事を思っているなんて知ったら不幸だもの。 そんな悩みの感情が生まれる隙間を作らないようにしている。でも肉体的な疲れはあるから、ふと日陰で休むときもある。 木を簡単に組み合わせただけのベンチに座り、公園で遊ぶ子供達を注意して見張る。 目の前の子供達は、こんな暑さの中でも必死に遊びに夢中になっていて、実に楽しそうだ。 そんな時「孤児院てどんな所?」私の決意を無視して、休み中に同僚の新藤先生に聞かれた。 彼女は、私が少し嫌な顔をすると、「ごめんごめん」と言っては謝るから、別に悪気はないんだろうと思うけど、この人とは、一生分かり合えないとも思った。彼女だけではない。 この世の全てと繋がる気がしない。 人並みに悩みだとか、仕事の愚痴などをお酒や食事を通して言い合いするんだけど、どうしてもね。 それでいいんじゃないの?と軽く言う人もいるだろう・・そんな事を言われたら、それはきっとあなたにそうじゃない誰かがいるからよと喧嘩を売ってしまうと思う。 許容範囲がひどく小さくて、心のドアさえ何処にあるのかさえ分からない私は、自分に対する不安と未来に対する、もしかして一生心を許せる人を見つけだせないのかもとっいた、恐怖でつぶれそうになる。 みんな死んじゃえっ・・と一人になったとき言ってやる。 最近読んだ小説の中に、同じセリフがあった。 「おまえなんか死ねばいいのに」と言った彼女は私とは違っていた。ただ言ってみる。そう口にする事で何かうまく解決しそうな気がした。ただ口に出して言ってみるだけなんだ。  違う。違う。違う。私はその彼女とは違う。 行為には及ばないもののひどく恨みや妬み、嫌悪の感情を込めて言っていた。 知らない間に言っていた。 周りの人間を誰ひとり信じる事が出来ず…  恐ろしい事に、復讐の中に幸福を見始めている私がいる。 一滴の水も残らず吸い上げても、まだその欲望は満たされず、大雨が降ろうと無限に、永遠に涸れ続ける私の心の湖。干上がりの底なし沼。 意味が分からない。 自分が自分の表現に正確な言葉を与えれない。 魂が引き裂かれそう、孤独に押し潰されそう、 他人にしがみつくことでしか、それを紛らわす事ができなくなっている。         助けて・・・・。
▲「愛をください」一回目。 舞台は主に前半かな?。 李理香演じる管野さんの演技を言葉ですり替えてみました。