novel99’s blog

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美しい人 レビュー

「美しい人」

●岬先生(田村正和

●みゆき(常磐貴子)

●次郎(大沢たかお

●岬圭子(内山理名

●純(池脇千鶴

●朝美(森下愛子


▼「岬とみゆきに出会いました。」 

物語はやはり単純に正義対悪ではないと思いますが、 次郎の邪悪性は否めません。

岬先生も完全な正義ではないです。ただ 美しい人。 妻の顔に似せてしまった事の娘や亡き妻への罪などは ゆったりと背負っていくのでしょう。

きっと穏やかに悩み、そて笑う。そんな彼の主義に心惹かれます。

(少し役を演じている正和ワールドでもあるのかもしれません。(^^) 脚本も主義も違いますが、古畑でもそう感じました。)

第4回目の「あなたは・・・・鈍感な人ねっ」とボリジの花言葉を言い、再び沸き上がる恋心を(実は安心して眠っている)みゆきに告白する所では、もう「正和様ー」でした。(^^)

みゆきについては、 顔が写る所では確かめるかのような行動をしているので、 最初は違う自分にはしゃいでた部分がありましたが、3回目あたりから 私は違う、逃げれる、でももしこれでばれたら、もし ばれなかったらといった自信と不安が見てとれました。

たぶん一度距離的な拒絶と逃避をしてつかまっているので、中盤以降くわしく精神的な逃避そして対峙への繋がりが みえると思います。

あと、みゆきの、保護者的な愛を明確に拒否した所からは、彼女が、誰かを愛したいという芯の強さを感じました。第2回目の裸足のシーンには期待し、感動できました。

次郎についてはまだ何も言えません。 また、池脇千鶴ちゃんがはたして癒やしになるかも 分かんない段階です。中盤辺りで彼の精神性が 見て取れるはずだとおもいます。

野島作品は比較的笑いと悩み、つまりは人生をうまく表現 していると僕も思います。 今回の美しい人は際だってバランスが良いと。

岬とみゆきに出会いました。


▼「手軽に概念化された言葉を求めていない僕ら。」 

次郎の追跡がせまるにつれ、彼女はその愛の強さを信じて対峙します。

「ミンタのよな穏やかな恋でもいい、ずっと貴方に香りを送り続ける・・」と言った彼女は次郎により軟禁状態にあっても、意志強く屹立した様子は、思っていた通りでした。

でもその後に起こる次郎の罠(薬物による記憶喪失)に飲み込まれてしまいます。それはまるで、沼のよう。泥に覆われ、そして香りさえ届かない石へと姿を変えられたように・・。

第八回などは、岬先生と次郎の狂気的な対決が描かれていたのにかかわらず、

この作品は、実にメルヘン(この表現が自分では、適していると思いますが、一般的なイメージと異なるかも知れません)に感じます。もうそれは、ハーブを用いているとか、正和ワールドだけでは、説明つかなくなってきたので・・・考えてみる。野島さんの作品の中で特にこの作品は、精神の現れが著しいように感じます。主人公達が生き生きしているとよく言いますが、それはどこから来るのでしょうか?。

彼らは沸き上がる気持ちを声に、行動に表します。時に意地悪をし、相手を突き放したりもします。しかし安易に取ってしまった行動に対しても深く思慮する姿勢が見えます。

もちろん重みだけではなく軽やかな会話や素振りも見せます。

でもそこに芯の入った精神性が脚本家から与えられています。その芯は境界線のない漠然としたもので、方向性(これはより多次元な)のみ決定され、決して彼らは、それを手短な言葉で概念化しません。

それこそが彼らが生き生きしている理由だと思いました。

第七回で、朝美が次郎の前で彼のトラウマを語るシーンがありますが、次郎(含めて一般的な悩み多き我ら)に対してはそんな手軽な概念化された言葉は必要ないはずです。同じ事が視聴者の我々にも言えて、彼らの精神性を知りたいと思いながらも、

それが活字となってセリフとして発される事を望みません(そうなれば、彼らを生き生きとしたものとして見ることはできないでしょう)。

我々は彼らを知りたいと、その行動や発言を自らの心のフィルターを通して思慮することこそが生きている実感へと繋がっていくのでしょう。

つまり、彼らが活き活きとして見えるのは我々が活き活きとしているからなのだと感じました。